徳川慶喜公
第十五代将軍「徳川慶喜(よしのぶ)」(1837〜1913)
激動の時代、大政奉還
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天保8年(1837)斉昭公の7男として生まれた慶喜公は、幼名を七郎麻呂と名付けられ、その後一橋家の養子となって、慶応2年(1866)、三十歳にして第15代将軍に就任しました。就任と同時に仁を以って政事の目的と為し、諸民を愛憐すべき事等、施政八ヶ条をあらわし、政局の前途をしっかりと見据え、自分の信じる政策を実行しました。

幕権拡張、軍制改革等を試みたが、幕政の衰弱化が進み、翌年、大政奉還を表明しました。

英明で天才肌の慶喜公は、その知力のすべてをかたむけ江戸城を無血開城し、大政の奉還をすることによって日本を内戦の危機から救いました。これによって日本は歴史上最大の変革期を乗り越えることができました。
その後 、政界から一切離れ、東叡山寛永寺大慈院に移り謹慎と恭順の後、静岡、東京と移り、大正2年77歳でこの世を去りました。