水戸藩初代藩主徳川頼房公(威公)は、徳川家康の第11男として、慶長8年(1603)山城伏見城で生まれました。常陸下妻10万石に、そして慶長14年には水戸25万石に移封されました。
頼房公は幼少より、父家康に愛されていました。家康は、三代将軍家光に「水戸の叔父を腰刀と思い秘蔵すべし、決して鞘走らざる様に仕まつるべし」と命じるほどでした。家光も頼房を敬重して何事にも相談相手にされ、頼房もまた将軍を敬愛して補佐しました。
頼房は、武雄に優れた気質を持ち、学問への関心も深く、国学だけでなく、儒学、神学を学び自らも研究書を著す程でした。
那珂川を昇る秋鮭を朝廷に献上するなどして皇室を尊崇しました。また、江戸藩邸内に後楽園を創設したり、水戸の下市の人達のために千波湖の水害を防ぐ為の整備や田畑の用水のための備前堀を造ったり、笠原水道の飲料水の準備をしたりしました。
領民のための藩政の基礎を築いた頼房は、寛文元年(1661)7月、 59才の若さでこの世を去りました。現在は、水戸東照宮(水戸駅前)に徳川家康公と共に祀られています。
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