寛文2年(1662年)徳川光圀公(水戸黄門)が徳川頼房公の遺志を継ぎ水戸下町の給水難を解消するために作られた上水道の水源地。寛文3年(1663)に完成しました。彰考館総裁を努めた藤田幽谷の「浴徳泉記」の碑が建っています。