徳川光圀公(水戸黄門)が寛永5年(1666年)に坂戸村の一角に特有の寺院に属さない藩士のための墓地を作らせました。当初、墓地の広さは、身分に関係なく平等に1間四方を原則とし、墓碑銘には戒名を記すことを禁じました。現在では諸宗の共同墓地として利用されています。