寺の名を大悲山保和院(だいひざんほわいん)桂岸寺といいます。遠く元禄時代、徳川光圀公(水戸黄門)が寺の庭を愛されて保和園と名付けられたのが始まりといわれています。 昭和初期、地元有志の手によって拡張整備され、池に築山を配した純日本庭園になり、名前も「保和苑」となりました。
徳川光圀公(水戸黄門)は寛文6年(1666)、水戸藩士のため上市に常磐共有墓地、下市に酒門共有墓地を創設しました。